現代において「まちづくり」という用語は一定の市民権を得ているように思う。ただ、その定義を気にかける方はいるだろうか。

 衰退した市街地で既存の建物を修復・刷新(リノベーション)して価値を高める事業を指す場合もあるし、まちなかで音楽イベントを開催する主催者も使えば、政治家の所信表明にも用いられる。人種、性自認、生活様式など、あらゆる面で多様化する今を反映する解釈の広さなのかもしれない。

 この用語が初めて公式的に用いられたのは、1952(昭和27)年発行の雑誌「都市問題」における、歴史家増田四郎氏の論考と言われている。

 戦後の混乱期に東京や名古屋、大阪などの大都市へ人口の過剰移動があったことや基盤整備に財の集中投下が行われたことで、人々の生活環境は決して良好ではなく、急激な高度経済成長によってもたらされた公害など、都市の抱える問題は非常に大きかった。

 国から自治体への上意下達で進められてきたのが「都市計画」である。一方、住民や企業などから自治体に対する底上げ型により、ハード整備に加え、運用のルールづくりやコミュニケーションデザイン、イベントや社会実験を通じた事業創出など、地域固有の豊かな暮らしを実現する上で必要な取り組みを網羅する概念が「まちづくり」といえる。

 この概念が生まれた当時は、いわば行政主導の都市整備に対するアンチテーゼもあり、重宝されたのではないだろうか。そのような切実な状況下で使われていた用語の価値を知る方々と知らない世代、さらに若年層で、まちづくりに対する概念が異なるのは当然のことだ。世代差だけではなく、思想へのこだわりの強さから互いに反目するようなケースも見受けられるが、それを華麗にクリアしている例もある。

 滋賀県長浜市は観光まちづくりの優良事例として紹介されることが多い。89(平成元)年に官民出資のまちづくり会社「株式会社黒壁」が設立されて以降、複数のまちづくり会社がそれぞれの目的と行動規範によって活動している。

 その背景には84(昭和59)年に策定された「博物館都市構想」がある。同構想は「まち全体を博物館にしよう」という目標に基づき、「培われてきたものを生かしながら、新しい文化を生み出し、個性と魅力のある『まちづくり』を進めよう」と呼びかける。押し付けや強制ではなく、まさに大同小異、互いを尊重する動きなのだと解釈する。

 社会基盤が充足し、モノやコトが飽和している世の中にあって、多様な欲求に応じようと地域の個性を引き出し、魅力や活力を高めるまちづくりの取り組みは総じて尊いものだ。起点や手法が異なっても、互いに寛容さと冗長性を持ち、高め合いながら継続していくことを願ってやまない。

【略歴】 東日本大震災を契機に、岩手で復興計画策定やまちづくり会社設立に携わる。現在は都市や不動産に関わる五つの会社を経営し、全国の市街地再生に取り組む。