私は前橋市富士見町に生まれ、そこで18年間過ごしました。住んでいたのは富士見の中でも赤城山寄りの地区で、家の周りには畑や田んぼ以外には何もない、かなりの田舎でした。

 とても静かな場所で、聞こえてくるのは主に鳥や虫や犬の鳴き声と近所の子どもたちが遊んでいる声、芝刈りの音でした。それらを聞きながら、とてもゆっくり進んでいく時間の中を過ごしていました。

 大学に進学するタイミングで上京した時、周りの環境がガラリと変わり衝撃を受けました。外で見えるものも聞こえる音も、何もかもが今までとは違い、最初は大いに戸惑ったものです。しかし東京での生活に少しずつ慣れていくにつれ、さまざまなことに新鮮さを感じながらも、戸惑いを感じることは少なくなっていきました。そして同時に、ゆっくりと時間が流れる感覚は忘れてしまっていました。

 今秋からオーストラリアで生活を始め、シドニーの中でも比較的落ち着いたエリアであるマンリーという地区に住んでいます。近くに海があり、シドニーの中心街にもすぐに行けるとても居心地のいい場所です。

 群馬で生まれ育ったので海への憧れが強かったのと、東京のような都会も好きだったので、この場所を選びました。当たり前ですが、見える街並みは日本と全く異なるので、歩きながら風景を眺めているだけで新鮮で楽しいと感じられます。

 そんなマンリーに住み始めてから少し経過したある時、ふいに懐かしさを感じました。昼間に部屋の中でゆっくり過ごしている時に外から聞こえてくる音の雰囲気が、富士見で聞いていたものにとてもよく似ているのです。さまざまな鳥や虫や犬の鳴き声、近所の子どもたちが遊んでいる声、芝刈りの音。ゆったりと時間が流れる感覚を一気に思い出しました。

 海外生活を始めて日が浅く、まだ非日常感が抜けていないのに、なぜか日常的な懐かしさを感じる、とても不思議な感覚でした。

 自分が暮らす土地の音や景色、匂いは当たり前のものであり、特別なものだと意識する機会はそうないでしょう。ただ、それと似たものを全く別の環境で感じた時に、ふいに地元を思い出し、それは自分にとって居心地がいいものだったと気付くのかもしれません。

 地元の空気感は自分の五感に無意識のうちに刷り込まれていて、それは実は私たちにとって特別なものなのではないかと思います。それがもしかすると、地元への愛着や誇り、大切に思う気持ちのようなものにつながっているのかもしれない、そう考えるようになりました。

 私は今、群馬から遠く離れたオーストラリアの地で古里・富士見を確かに感じています。

 【略歴】2023年秋まで吉本興業に勤務し、お笑いコンビ「かまいたち」らを担当。退職後に豪州移住。前橋女子高、早稲田大を経て同大大学院修了。前橋市出身。